天才クールスレンダー美少女になりたい

チラシの表(なぜなら私はチラシの表にも印刷の上からメモを書くため)

【サバの話だったんだよ】WEEKLY OCHIAI vs. ゆゆ式オタク

これは東京大学きらら同好会 Advent Calendar 2021の20日目の記事です。

adventar.org

昨日(19日目)の記事はうらさんの「星屑テレパスの宇宙語フォントを作った話」でした。

n4o847.hatenablog.com








突然ですが、みなさん、ゆゆ式は好きですか?

……いえ、愚問でしたね。(ゆゆ式が好きでない人なんているはずがないので)




ゆゆ式という作品は、一言で言えば、「イベントなど特別なところの一切ない、しかしかけがえのない仲良し3人組のありのままの日常を、完全に外の視点から見せられる」作品です。
もちろん、彼女たちも普通の高校生なので大きなイベントは当然起こるのですが、作品にその描写は出てきません。「○○楽しかったね〜」みたいな感じで後から間接的に言及されるのみです。

その意味で、アニメ1期最終話のタイトル「ノーイベント グッドライフ」は、ゆゆ式の本質を突いた素晴らしい言葉だと思います。


さらに、「完全に外の視点から見せられる」というのがポイントです。すなわち、彼女たちは確かにお互いの視点を意識しているけれど、その外にいる「我々、観測者」を一切意識していないのです。
3人は観客を笑わせようとコントをしているのではなく、あくまで彼女たちが彼女たちなりに楽しんでいるのを「我々」がこっそり垣間見ているのです。それでいて私たちが見ても十分面白いのですから(つまらなかったら「ゆゆ式」という作品が成り立ちません)、なんともすごい作品だなあと思うわけです。




まあ、ゆゆ式に関する素晴らしい論考はインターネットに無数にありますし、私がわざわざ劣化コピーを作る必要もありません。

ちょうど今年も「ゆゆ式 Advent Calendar」が開催されていて、そちらにも大量に良質な記事がありますので。ぜひ。

adventar.org




さて、この作品の面白さを構成する要素として、3人の掛け合いや関係性、空気感などがあります。特に、一見しただけだと文脈が理解しづらい突飛な会話がけっこう多いです。もちろん、彼女たちは「意味不明なことを言って外野を笑わせてやろう」なんて思っていないので、あくまでも彼女たちの中では文脈がしっかり成立しているわけですが。

熟練のゆゆ式読者ともなれば、こういった突飛な会話の根底にある文脈を読むなんて朝飯前です。たぶん。










……本当に……?





ゆゆ式オタクならどんな突飛な発言でも文脈を理解できる説


というわけで、検証していきましょう。






ken-horimoto.com

検証には、「話が飛びすぎてわけがわからない」と話題になった、WEEKLY OCHIAIというweb番組の「日本社会をアップデートせよ」回を使います。肝心の本文が孫引きになってしまうのはあまりよろしくないのですが、被験者が宗教上の理由によりNewsPicksアカウントを持っていなかったため、やむなしとします。





登場人物

ふぁぼん

ゆゆ式のオタク。インターネットや東京大学きらら同好会などでよくわからない謎の物書きとして活躍している。主食は言葉と論理とアルフォートと冷凍うどん。

今回の被験者。

落合陽一氏

日本の芸術家(メディアアーティスト[1]、随筆家[2]、写真家[3])、情報学者[4]、マルチタレント[5]。(ワタナベエンターテインメント所属[6][7])、オンラインサロン主宰者[8]。学位は博士(学際情報学)(東京大学、2015年)。筑波大学図書館情報メディア系准教授[9]。ろくろ回しが得意そう。自らがパーソナリティを務めるweb番組「WEEKLY OCHIAI」では矢継ぎ早に論理を展開し、視聴者どころか未来さえ置き去りにする。

カレーをストローで飲む。

今回の出題者1。

宇野常寛

日本の評論家。批評誌『PLANETS』編集長。株式会社PLANETS代表取締役。市民投稿型ニュースサイト「8bitnews」副代表。岩手県文化芸術アドバイザー。一般社団法人パブリックアフェアーズジャパン理事[1]。 よくわからない人。

今回の出題者2。

検証

動画内の各発言について、被験者が文脈を補間・補完できるかを試した。

社会における絶対的なものの必要性

落合氏「(前略)西洋国家に存在した……つまりキリスト教的西洋国家に存在した神の定義みたいなものが、天皇制でなくなってしまった以上、我々の社会には存在し得ない、っていうところを、おそらく日本社会は拝金や、成長する高度経済成長的エコシステムによって補ってきたんだけれども、その生産社会っていうか、マスメディア主義の日本社会っていうのが成り立たなくなってきたときに、どうやってアップデートし得るのかっていうのが議論になっている……ような気がする。

で、その……例えば今でもアメリカだったら、宣誓するじゃないですか。大統領が。あの機能は我々の社会にはついてないよね?その機能がついてないことによってエコシステムが不全になってるのは間違いなくて……それは……なんだろ……人間存在より上位存在を仮定することによって契約が可能になる、みたいなもの?でもそれが我々にとってはブロックチェーンでもいいし、スマートコントラクトでもいいわけですよ。で、そういうものを真面目に考えようぜって言って書いてる本だから……まあ、そんな感じ。」

ふぁぼん「うーん連想ゲーム。もうちょっと緻密に論証してくれって叫びたくなりますが、ともかく要約してみます」

ふぁぼん「落合氏が主張したいことは、社会がうまく機能するためには人間を超越した絶対的な何かが必要である、ということだと思います。これを日本社会という例に適用すると、『マスメディア主義』が指すものは私には不明瞭に思われますが、ともかく拝金や経済成長への指向などを牽引力としてやってきた日本社会は、牽引力が社会の内部にしかないため、成り立たなくなってきた……ということでしょう。アメリカ大統領の宣誓は外部に牽引力がある例として挙げられていて、すなわち国民全体が神という幻想を共有することで社会が機能するのだという話ですね」

ふぁぼん「そして、人間を超越したシステムが必要なのであって、必ずしもそれが『神』である必要はない、というのも落合氏の主張です。ブロックチェーンやスマートコントラクトは中央集権体制なしに信用を担保する仕組みの例として挙げられていて、そういった人間の手を離れられる、そして作り出した人間にすら手が出せないシステムを『神』の代替物として導入することを氏は提案しているわけですね」



宇野氏「この人間って、かぎかっこ付きの人間なんですよね(かぎかっこを書く)。

もっというと、個人とか市民とか言われるものですよね。理性的な判断力を持って、なにかこう、責任……私は私だっていうアイデンティティをしっかり持って、で、責任持って判断できる主体みたいなことですよ。

だから人間っていうのはそうやってある程度理性的で、合理的に判断して責任が取れるものなんだっていう……まあ、フィクションですよね。実際にはそんな立派な人間はそうそういないんだけど、人間とは一応そういうもんだっていうことに仮にしておくと、社会ってうまく回るよと。そうすると、民主主義とか例えば可能になるじゃないですか?」

落合氏「だから宣誓しないと成立しないじゃないですか?」

宇野氏「だから、西洋の話をすると、まあ神様っていう完璧な存在がいて、人間ってのはそこに近づけないんだけど、とりあえずそれに目指して頑張る存在なんだから尊いんだみたいなことを定義するわけですよ、人間を。

ただそれは、日本っていうのはアブラハムの宗教の国じゃないので、まあ……その神様を想定できないわけですよね。なのに、だから一応天皇っていう方便を使ったんだけど、あんまりうまく行かなかったというのが戦前の日本ですよね、と。

(中略)

戦後中流幻想を、戦後の■☆△の中で最も高度になし得るっていうことを頑張ったっていうのが戦後日本だったんだけど、どうやらそれをやりすぎた結果、なんか社会全体がパーになってしまった、今ここ、みたいな感じだと思うんですよね。」

ふぁぼん「これはさっきの『共同幻想によって社会が成立する』という話を補足したいって感じでしょう。民主主義も主体としての個人・市民も本来は幻想で、実際にそこまで立派な人間はほぼいないのになんとなく社会が上手く回っているのは建前が大多数に共有されているからだ、と。その共同幻想を支えるのが大統領の宣誓だと言いたいわけですね。神様という完璧な存在に可能な限り近付けるよう努力するぞという姿勢があるんだ、と」

ふぁぼん「で、アブラハムの宗教の国じゃない、より的確に言えば一神教じゃないということでしょうね、そういう日本で天皇を神として奉って戦前の日本はやっていたけれど、うまくいかなかった、と。これは私の勝手な想像なのですが、うまくいかなかった理由を落合氏の論に基づいて説明すると、『天皇も結局社会の内部でしかなく、人間を超越する外部の存在ではなかった』ということに尽きるのではないでしょうか。その後で述べられている戦後中流幻想にも同じ議論が適用できる気がします。知らんけど。」

究極の外部存在としての「ドラえもん

落合氏「そう。神とはドラえもんのことだったのである、っていうね」


落合氏「最大の神様ですよ。人間は努力しなくてもテクノロジーが補完してくれるし、何を言っても四次元から出てくる。四次元から出てくるってヤバくないですか!?(笑)」

ふぁぼん「現在ではなく未来から来たドラえもんは社会の外の存在だ、ということでしょうか。未来の技術があるから現代社会を完全に超越してるし、先述の『神』の定義には割ときれいに当てはまりますね」

宇野氏「野比のび太って、戦後日本そのものだからね」

ふぁぼん「これはたぶん、戦後の一億総中流的な精神を体現しているのが野比のび太だということでしょう。知らんけど」

生物と計算機

落合氏「地球上に最初に生まれた計算機はなにかっていうと、DNAを持った生物ですと。
4進法ですすむ、デジタル計算機があって……で、これがまあベースのコードで。
で、その後、まあ……なんだろうな……非線形現象をあの……アレにした、神経系を持つ生物ってのが出てきますと。」

ふぁぼん「これは、たぶんDNAやRNAや転写みたいなシステムが極めて計算機っぽいよね、という話ですかね。たぶん」

落合氏「で、それが最初に書いてあって、デジタルネイチャーとは生物が生み出した量子化という叡智を、計算機テクノロジーによって再構築するということだよって。ここまでがその文章ですね。」

ふぁぼん「まず、量子化というのは連続を離散へ変換することです。自然はマクロ的には連続すなわちアナログですが、DNAやRNAはデジタルだし、神経系もデジタルである、と。であれば、我々の認知する世界はそもそもデジタルのはずで、それを計算機によって代替・拡張・統合することだって可能なはずで、それが『デジタルネイチャー』だ……という主張ですかね、知らんけど。『十分な計算能力があれば現実と区別できないVRも可能なはず』みたいなのと似た主張だと思います」

落合氏「で、えっと、計算機テクノロジーによって再構築するってのは、この……統計的な誤り補正と、統計的な微分処理。あー、偏微分を自動化するようなアプローチを、計算機テクノロジーによって再構築すると。

つまり、えーと、生物的、生物的デジタル処理と、あとなんだっけ……あれだ、地球が生まれて何億年っていうじゃないですか。46億年かけて作った、イテレーション?」

ふぁぼん「えっと……これは、生態系とか進化とかを統計学と計算機科学の力でシミュレーションしようという話ですかね……? 生物は46億年——実際には生物誕生からだともうちょい短いと思いますが——かけて1世代ごとに徐々に進化させていったわけですが」

落合氏「イテレーションによって出てきた結果、例えば、サバの背中の模様ですけど……」

ふぁぼん「『サバの話だったの?』と言いたくなるのは分かりますが、まあサバというのは単なる進化で行き着いた地点の例ですね。落合氏はサバが好きなのかもしれません」

※追記: サバの模様はチューリング・パターンの実例として挙がっているようです。指摘していただいた方々、ありがとうございました。

落合氏「そのイテレーションを……計算機の場合は、このイテレーションってだって一秒間に……CPUだったら3ギガ回とか回せるわけじゃないですか。3ギガ回まわせて、生物だったらこれって、一年に一回とかですよね。

この処理を回すことで、こっちのコンピュータの世界のやつを……現存する自然を更新する程度に、生態系にミックスしてしまおうと。つまり、今、人間と自然というのがあって、二項対立で語られてた問題を……一つの、人間的に定義された超自然を作って、まず。

人間的に定義された超自然の中に人とか、生物とか、あとここに計算機とかを、入れてしまうっていうような、自然観の更新なんですよ。こいつのことをデジタルネイチャーと呼んでいると。

この、定義されたデジタルネイチャーっていうのは、世界中にIoTデバイスとか、この、サブタイトルにもある「汎神化した」っていうのはIoT、ユビキタスのことなんですけど、ユビキタスバイスっていう外側の存在と、あとコンピュータの中でイテレーション回していく内側の存在っていうのが、ほぼ等価であるっていう思想に基づいているんですよ。」

ふぁぼん「生物だと1世代ごとに1年くらい必要なわけですが、しかしコンピュータでシミュレーションする分には1秒間に10^9回のオーダーで計算できますからね。で、人間が把握できる最高解像度のデジタルデータを操作できるコンピュータとその入出力機械を自然に介入させると、人間にとっては元の自然とコンピュータが介入した後の自然が区別できないはずです。そうやってコンピュータ内の世界と現実世界を融合させてしまおう、ということですね。知らんけど。人間のコンピュータと自然という二項対立を、どちらも含む超自然『デジタルネイチャー』で置き換える、そういう自然観のアップデートなのだ、と……」

ふぁぼん「で、最後はコンピュータの外側のデバイスと内側のデータが等価というのがデジタルネイチャーの概念にとって重要だ、という主張なんでしょうけど……だんだんよく分からなくなってきました……」







自分でも何言ってるか分からなくなったところで幸いにも元記事が終わっているので、終わりにします。

結論

ゆゆ式オタクならだいたいの突飛な発言の文脈を理解できるが、限度がある。

参考文献

  • 落合陽一『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』