まちカドまぞく6巻に登場するウクライナ語の文章に、ウクライナ語を学ぶ筆者が真っ向から向き合います。 原文の和訳、精読、文法と語法の解説、そして間違っている部分の訂正を通じて、まちカドまぞくのよりよい理解を目指します。
※ロシア語などスラヴ諸語の知識は必須ではありませんが、あればさらに楽しめます。
この記事は、東京大学きらら同好会の合同誌『Micare vol.1』に寄稿した記事の再録です。当該同人誌の公開猶予期間(1年間)が過ぎたため、自ブログで公開します。
この本の他の記事も読みたい人は……もう増刷の予定も残部もないので、国会図書館に行ってもらえれば。2冊納本したので、関東と関西の両方に入ってると思います。
また、同時に発行した『#FindOurStars vol.2』寄稿の「ナナチカ探偵団と不可能な虹」「拝啓、海の向こうの空へ」も公開してありますので、よろしければ。前者は地理地学学園ライトミステリ(ナナチカ要素あり)、後者はノーベル物理学賞2021記念SSナナ(チカ)SSです。
また、今夏の夏コミ発行のまちカドまぞく評論合同にも「那由多誰何の倫理学入門」という文章を書きました。那由多誰何の思想を倫理学(哲学の一分野)の視点から検討し、今後の展開を考察する記事です。よろしければ通販で是非。
メロンブックス: https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1564885
booth:
be-straighter.booth.pm
夏コミ発行の続刊『Micare vol.2』にも寄稿しています。「会員厳選!イチオシきらら」に星屑テレパスの布教文を寄稿したほか、「初恋*れ~るみすてり」と題した「初恋*れ~るとりっぷ」の二次創作SSも掲載してもらっています。きらら×時刻表トリックの新感覚トラベル(?)ミステリーです。こちらもよろしければ。
以下が本編です。誤植を修正したり注やリンクを追加したりした以外はそのままですが、致命的なミスはないはず。たぶん。
まちカドまぞく vs. ウクライナ語警察
Українська мова та «Мачікадо Мазоку»
警告 Увага!
この記事には、まちカドまぞく6巻のネタバレが含まれています。うっかり目にしてしまった人に配慮して、この記事だけを読んでもなんのことか分からないように一応可能な限りぼかしてはいますが、これを読んだことで本編を読む楽しみが減らないとまでは断言できません。ネタバレ潔癖症の人は6巻まで読んでから戻ってきてください。
また、この記事の筆者はロシア語なら問題なく読み書きできますが、ウクライナ語に関しては文法書を数時間読んだだけの素人です。とはいえ、ウクライナ語とロシア語の関係は大変微妙ですが——主に政治的に——、文法は二卵性の双子レベルで似ていますし、このような文法解説なら大丈夫……な気がします。
前回までのあらすじ
まちカドまぞくの最新刊にウクライナ語が出てくるという噂を聞いたロシア語オタクの私は、真相を確かめるべくAmazonの奥地……ではなく大学生協に向かい、置いていなかった1巻以外全て買い占めた。頑張れシャミ子!! ウクライナ語ができる立派なまぞくになるんだ!!
5分で分かるアルファベットと発音
だいたいロシア語と同じです。この記事を読むのに必要な文字のうち、ロシア語と事情が違うものだけ表にしました。
文字 | 発音 |
---|---|
И/и | だいたいロシア語のыに相当。ロシア語のыよりは舌が前。 |
І/і | ロシア語のиに相当。母音の「イ」。 |
Е/е | 発音はロシア語のэ。母音の「エ」。 |
Є/є | 発音はロシア語のе。母音の「イェ」。 |
Г/г | хの有声音。 |
Щ/щ | 現代ロシア語の標準発音とは違い、「シチ」となる。ロシア語のいわゆる「サンクトペテルブルク風発音」と同じ。 |
В/в | 子音の前や語尾では「ワ」の子音、すなわち両唇接近音。母音の前ではロシア語と同じ「ヴ」。 |
また、ロシア語と同様にアクセントがありますが、アクセントのない母音の発音は変わりません。さらに、基本的には無声化しません。гやзは無声化することもあるらしいですが。しかし、有声化はします。だから、вокзалはヴォクザールではなくヴォグザールです。
まあ、この短い記事を読むだけなら、別に発音を正確に知る必要はないでしょう。興味のある方は『ニューエクスプレスプラス ウクライナ語』でも読めばいいんじゃないでしょうか。
まずは文章全体から
とりあえず、出てきたウクライナ語の文章を引用します。アクセントも付けておきました。けっこう面倒だったんですよ。
Організа́ція, що́ контролю́є ва́с, впа́ла. Ви́ не ма́єте бі́льше вчиня́ти самогу́бства.
Здаю́сь. Лише́ я́ не вме́р.
Що́ це́?
Я́к тебе́ зва́ти?
Мене́ зву́ть Опера́ція 27.
Мон-мо?
Orhanizácija, ščó kontroljúje vás, vpála. Vý ne májete bílʹše včynjáty samohúbstva.
Zdajúsʹ. Lyšé já ne vmér.
Ščó cé?
Ják tebé zváty?
Mené zvútʹ Operácija 27.
Mon-mo?
分かりましたか?
まあ、分からないですよね。ウクライナ語を読める人の大半はこの記事の日本語を読めませんし、この記事の日本語を読める人の大半はウクライナ語が読めません。
とはいえ、ロシア語から類推すればなんとなく分かる部分もあるのではないでしょうか?
というわけで、以下がロシア語対訳です。元のウクライナ語が間違っていそうな部分は、あえて間違えたまま、対応するロシア語の単語・表現に訳しています。
ウクライナ語 | ロシア語 |
---|---|
Організа́ція, що́ контролю́є ва́с, впа́ла. | Организация, что контролирует вас, упала. |
Ви́ не ма́єте бі́льше вчиня́ти самогу́бства. | Вы не должны больше совершать самоубийство. |
Здаю́сь. | Сдаюсь. |
Лише́ я́ не вме́р. | Лишь я не умер. |
Що́ це́? | Что это? |
Я́к тебе́ зва́ти? | Как тебя зовут? |
Мене́ зву́ть Опера́ція 27. | Меня зовут Операция 27. |
Мон-мо? | Мон-мо? |
まあ、こうして見ると、似ている部分はかなり似ているし、違う部分は違いますね。
推測による意訳がこちら。どうせ機械翻訳なので、原文を突き詰めるよりも「たぶんこう言いたいのだろう」と推測をしながら適当に訳した方がいいでしょう。
あなたたちをコントロールしていた組織は壊滅した。あなたたちはもはや自殺してはいけない/もう自殺しなくていい。
私は降伏する。私だけが死ななかった。
これは何?
君の名前は?
私の名前は「Operation 27」。
もんも?
もんも……。
次は一文ずつ丁寧に
普段ロシア語警察をやっている私ですが、ウクライナ語警察の業務も始めました。丁寧に読み、文法的な解説をし、文法・語法的なミスあるいはミス疑惑の箇所をネチネチと書いていきます。{ウクライナ語始めて数時間なのに偉そうですね、こいつ
1文目
Організа́ція, що́ контролю́є ва́с, впа́ла.
Orhanizácija, ščó kontroljúje vás, vpála.
що́は疑問詞の「何」で、英語のwhatやロシア語のчтоのように関係代名詞としても使えます。ロシア語もそうですが、ウクライナ語も関係節の前後は基本コンマを入れるようです。英語は入れないことの方が多いですよね。ただし、ロシア語と違って関係代名詞のщо́は不変化のようです。
контролю́єはконтролюва́тиの三人称単数現在形なので、正確に訳せば「あなたたちをコントロールしている組織は壊滅した」ですね。組織が壊滅しているならコントロールも既に解除されている気がするのですが、現在形で意味的に大丈夫なんでしょうか。
ちなみに、контролюва́тиは不完了体で、完了体はпроконтролюва́тиです。
впа́лаはупа́стиの別表記впа́стиの過去・女性形です。ウクライナ語はけっこうвとуが交替したりします。とはいえ、普通вになるのは母音の後で、ここではупа́лаの方が正しいように思えるのですが。ちなみに、これは完了体で、不完了体はпа́датиです。ここは完了体の過去形で問題ないでしょう。
なお、それなりに厚いウクライナ語の辞書を引いても「組織が崩壊する」という意味は出てきませんでした。たぶん、少なくとも現代語では使われていない用法である可能性が高そうです。一応、ウクライナ語のупа́стиに対応するロシア語のупастьには「組織などが崩壊する」という意味があるのですが、古い用法で現在は使われていないようです。
今回のように組織が壊滅するということを表現したいなら、完了体動詞のзни́щитися「破壊される、壊滅する」あたりの言葉を使うのがいい気がしますね。ウクライナ語歴数時間の素人の戯言ですが。
訂正版は以下の通りです。
Організа́ція, я́ка контролюва́ла ва́с, зни́щилася.
Orhanizácija, jáka kontroljuvála vás, znýščylasja.
この文章ではщо́ではなくя́кийを使っていますが、単にщо́の使い方が分からなくて逃げただけです。
2文目
Ви́ не ма́єте бі́льше вчиня́ти самогу́бства.
Vý ne májete bílʹše včynjáty samohúbstva.
ма́єтеはма́тиの二人称複数現在形です。ма́тиはロシア語のиметьに相当する言葉で、意味は「持っている」です。ただし、ここでは不定形の不完了体動詞вчиня́ти「遂行する」を取って、「〜しなければならない」というロシア語にはない用法で使われています。もちろん今回は否定なので、「〜しなくてもいい」か「〜してはならない」の意味です。どっちなのか分からず、HiNativeというサービスでウクライナ語話者に質問してみたのですが、結局よく分かりませんでした。なんとなくですが、ロシア語でも両方の意味が可能だったりするので、これも両方アリなんじゃないかな。知らんけど。
あと、самогу́бствоではなくсамогу́бстваになってるのはなぜなんでしょう。ここに否定生格はまず登場しないでしょうし、複数形になるのもおかしいし、やっぱりミスな気がします。
さらに、бі́льшеは否定の形だと「それ以上、もはや〜でない」という意味になりますが、語順は普通бі́льше неだと思います。ロシア語のбольшеと同じですね。
訂正版は以下の通りです。
Ви́ бі́льше не ма́єте вчиня́ти самогу́бство.
Vý bílʹše ne májete včynjáty samohúbstvo.
3文目
Здаю́сь.
Zdajúsʹ.
不完了体動詞здава́тися「降伏する」の1人称単数現在形です。これ、未来かつ瞬間的な動作の話だと思うんですが、不完了体の現在形でいいんですかね。ロシア語には一応、直近の未来を表す不完了体現在形というのが存在するんですが、この用法で使える動詞は限られています。もちろんこれはロシア語の話で、ウクライナ語の事情は本当に分かりません。完了体のзда́тисяなら確実に正しいと思うのですが。
Зда́мся.
Zdámsja.
4文目
Лише́ я́ не вме́р.
Lyšé já ne vmér.
лише́は「〜だけ」を意味する副詞、неは否定、вме́рは完了体動詞уме́ртиの別表記вме́ртиの男性過去形です。完了体なのはいいのですが、この台詞を言ったのは女性だからвме́рлаが正しいのでは?
……まさか、「彼女」の性自認が男性だとか、まともに育ててもらえずウクライナ語を正しく習得できなかったとか、そういう話だったりします?脚本の人そこまで考えてないと思うよ
Лише́ я́ не вме́рла.
Lyšé já ne vmérla.
5文目
Що́ це́?
Ščó cé?
Що́が「何」、це́が「これ」。説明・訂正不要。
6文目
Я́к тебе́ зва́ти?
Ják tebé zváty?
Я́кが「どうやって」、тебе́が「君を」、зва́тиが不完了体動詞「呼ぶ」。зва́тиが不定形のままなので、ロシア語でいうところの不定形構文、すなわち直訳で「君をどう呼ぶべきか」という意味なのかもしれません。
初対面でти́「君」を使っているあたり、名前を聞かれている相手は質問してる人よりずいぶん年下なのでしょう。ウクライナ語でもロシア語同様に、1人の人に呼び掛けるときにти́とви́の両方が使えますが、前者は仲の良い人や子供相手のときに使います。
7文目
Мене́ зву́ть Опера́ція 27.
Mené zvútʹ Operácija 27.
зву́тьはзва́тиの三人称複数現在形です。直訳すると「私は人々から〜と呼ばれています」ですが、わざわざ「人々」なんて書きません。ロシア語にも似た表現がありますよね。そう、不定人称文です。
ちなみに、自己紹介の構文としてМене́ зва́тиという言い方もあるらしく、割と使われているらしいです。『初級ウクライナ語文法』にはこちらの文章が載っていました。ただ、зва́тиは不定形です。ウクライナ語ではロシア語と同様に、文章に不定形が単独で出ることは本来ありません。ひょっとすると、後から生まれた少し例外的な慣用表現なのかもしれません。*1
で、問題の「Опера́ція 27」なのですが……。これは明らかに人の名前ではありません。Опера́ціяは「作戦」です。
まあ、作者の意図は分かります。この発言をした人の境遇はどんなものだったか、これを聞いた通訳者が何を思って「訳を捏造した」のか、そういう物語上の意味を汲み取るにはこの解説で十分でしょう。番号で呼ばれる、これほど端的かつ効果的なディストピアの演出は滅多にありません。
ただ、「Опера́ція 27」の意味は正直分かりません。この言葉は「手術」「作戦」「演算」「操作」「取引」などの意味がありますが、どれもしっくりきません。作者は何の訳語として、この言葉を使ったのでしょうか。このあたりが掘り下げられることは二度となさそうですし、たぶん永遠に分からないままでしょう。*2
8文目
Мон-мо?
Mon-mo?
もんも?
大改造!!劇的ビフォーアフター
Організа́ція, я́ка контролюва́ла ва́с, зни́щилася. Ви́ бі́льше не ма́єте вчиня́ти самогу́бство.
Зда́мся. Лише́ я́ не вме́рла.
Що́ це́?
Я́к тебе́ зва́ти?
Мене́ зву́ть Опера́ція 27.
Мон-мо?
なんということでしょう!匠の手によって、機械翻訳の殺風景で不自然なウクライナ語が、暖かみのある人の手が入った自然な文章へと生まれ変わりました。
なお、玄人ぶってる匠は実は素人なので、アフターの方の文章にもミスが残っている可能性はかなりあります。
終わりに
知ってました?これ、語学・言語学関連の本ではなく「東京大学きらら同好会」の合同誌らしいですよ。
ちなみに、この本のタイトルの『Micare』は「輝く」を意味するラテン語の動詞micōの不定法能動態現在形micāreに由来します。*3
参考文献
- 黒田龍之助『初級ウクライナ語文法』(三修社、2017年)
- 中澤英彦『ニューエクスプレスプラス ウクライナ語』(白水社、2019年)
- ユーラシアセンター『ウクライナ語辞典』(ベスト社、2012年)
- Wiktionary (https://www.wiktionary.org) 英語版・ロシア語版・ウクライナ語版
- インターネットのウクライナ語に関する各種サイト