天才クールスレンダー美少女になりたい

チラシの表(なぜなら私はチラシの表にも印刷の上からメモを書くため)

誰が「あのバンド」を書いたのか?

Who wrote "That band"?




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良すぎ……(遺言)





この記事は、「まんがタイムきらら Advent Calendar 2022」と「東京大学きらら同好会 Advent Calendar 2022」の6日目担当です。
adventar.org
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みなさん、「ぼっち・ざ・ろっく!」8話「ぼっち・ざ・ろっく!」は見ましたでしょうか。私は「あのバンド」が良すぎる上に新ED「なにが悪い」も好(ハオ)……という気持ちになり、呻き続けています。Spotifyの無料アカウント作ってて良かった……


で、8話挿入歌「あのバンド」の話をしたい。

アニメのライブ本番で披露されたからには、この曲はライブ前の結束バンドによる作詞作曲ということです。作中ではそういう扱いだし、作詞者の樋口愛さんもそういうつもりで歌詞を付けたに違いありません。
……だよね? 信じていいよね?


作曲はリョウ先輩で確定として、作詞者は誰でしょう。言い換えれば、この歌詞は誰の心情を表現したものでしょう。

あのバンドの歌がわたしには 甲高く響く笑い声に聞こえる
あのバンドの歌がわたしには つんざく踏切の音みたい
背中を押すなよ
もうそこに列車が来る

目を閉じる 暗闇に差す後光
耳塞ぐ 確かに刻む鼓動
胸の奥 身を揺らす心臓
ほかに何も聴きたくない
わたしが放つ音以外

不協和音に居場所を探したり
悲しい歌に救われていたんだけど
あのバンドの歌が誰かにはギプスで
わたしだけが 間違いばかりみたい

目を閉じる 暗闇に差す後光
耳塞ぐ 確かに刻む鼓動
胸の奥 身を揺らす心臓
ほかに何も聴きたくない
わたしが放つ音以外
いらない

背中を押すなよ
たやすく 心触るな
出発のベルが鳴る
乗客は私一人だけ

手を叩く わたしだけの音
足鳴らす そくせき残すまで
目を開ける 孤独の称号
受け止める 孤高の衝動
今 胸の奥 確かめる心音
ほかに何も聴きたくない
わたしが放つ音以外
結束バンド「あのバンド」

ストレートに解釈すれば、「普通」と違う自分の音楽性を誇る、「私の音楽を聴け」と迫る歌詞です。
なので、少なくとも伊地知虹夏さんや喜多郁代さんが書いたわけではないでしょう。

となると、残る可能性は後藤ひとりさんと山田リョウさん、この二択ですね。
明るいわけではない、しかし力強い歌詞。ざっと聴いた雰囲気だと、どちらでもありえそうな雰囲気がします。

実際、たとえばTwitterで検索してみると両方の説が出てきます。後藤ひとりさん作詞という前提でぶち上がっている人も、リョウ先輩作詞という前提で狂っている人も、両方いるんですね。
しかも、両者の間で悩んでいる人よりも、「え、普通にリョウ先輩作詞では?」とか「いや後藤ひとりさん作詞じゃないの?」という人の方が多い気がします。なかなか不思議です。


そこで、この記事では、「あのバンド」の作詞者問題について、可能な限り多くの視点から包括的に検討したいと思います。

免責事項

筆者はまだ「ぼっち・ざ・ろっく!」の原作5巻を入手できていません*1。手に入り次第、必要であれば加筆修正します。
そして万が一、5巻範囲の描写により全ての前提が引っくり返ってしまった場合、加筆修正では追いつかないので別の記事で再論することになると思います。

制作経緯

原作でもアニメでも、基本的には変わりません変わってました……(後述)。

リョウ先輩が作ってきた曲に対し、後藤ひとりさんが四苦八苦して歌詞を書く。その過程でリョウ先輩と後藤ひとりさんがちょっと仲良くなります。


……というのが、おそらく「ギターと孤独と蒼い惑星」の方ですね、たぶん。
同じときに歌詞を2つ提出した可能性もあるので、なんとも言えないのですが。

追記(2022/12/10): アニメだと後藤ひとりさん作詞→リョウ先輩作曲の順番でした。あとこれは書き忘れてたんですが、アニメ5話冒頭で曲が披露されるときの画面に「ギターと孤独と蒼い惑星」とローマ字で書かれています。あたしって、ほんとバカ

では、他の曲はどうかというと、なんと一切の描写がありません。同じ「リョウ先輩作曲→ぼっちちゃんさん作詞」という流れだった可能性もありますし、あるいはリョウ先輩が作詞作曲の両方をやった可能性もあります。ワンチャン、他の可能性も。


ただ、作詞初心者の後藤ひとりさんに他の曲の歌詞も書かせるかどうか。これは後でちゃんと検討しますが、たぶんリョウ先輩の方が初心者よりは作詞に慣れてそうです。
一方、3巻の未確認ライオット前の新曲制作パートでは当然のように後藤ひとりさんが作詞をする流れだったので、やはりぼっちちゃんさん担当だったという可能性も十分ありそうです。

追記

アニメの5話、オーディションの後にリョウ先輩が「ぼっち、新曲の歌詞よろしく」と発言していたのを見落としていました。
アニメだとこの時点で「ギターと孤独と蒼い惑星」が完成していたので、「新曲」というのは高確率で「あのバンド」で、順当に考えたら後藤ひとりさん作詞ということになります。

……うん、なんかもう、答え出ちゃったかも。
「それはアニメだけの話」と主張することも可能ではありますが、そもそも「あのバンド」の歌詞自体がアニメのオリジナルなので……。それを言ったら全ての前提が壊れておしまいです。



こ、公式で明言されたわけじゃないし! それに「あのバンド」じゃなくてバンドの3曲目の話だった可能性だってあるし!
なんなら公式が解釈ちg

リリックビデオ

アニプレックス公式チャンネルにアップロードされているリリックビデオには、リョウ先輩の映像が付いています。
もし、この曲が動画通り「リョウ先輩の歌」、つまりリョウ先輩の心の叫びを綴ったものだとすれば、作詞者はリョウ先輩の可能性が高くなります。

付言すれば、明らかに後藤ひとりさん作詞の「ギターと孤独と蒼い惑星」の方はぼっちちゃんさんの映像付きです。



ただし、これらのリリックビデオに登場するキャラは「前回はぼっちちゃんだったから次はリョウ先輩ね」みたいなノリで決められている可能性もあります。もし次が喜多ちゃんさんとかだったら、動画に出てくるキャラは論拠として使えないことが確定してしまいますね*2

それに、リョウ先輩の過去を少しだけ聞いたぼっちちゃんさんが自分の気持ちと重ね合わせて書いた可能性もゼロではありません。
この時点でそれだけのシンクロ率を叩き出せるかというと、分からん……という感じですが。

歌詞の韻

この曲を初めて聴いたとき、歌詞が気持ちいいと感じました。理由は明らかで、押韻です。
「後光」と「鼓動」と「心臓」、「孤独の称号」と「孤高の衝動」、その他にも随所で韻が踏まれてるんですよね。

そして、作詞において押韻というのはそこそこテクニカルです。ゆえに、問題となるのは一点。
「心からの叫びを本気で歌詞にするときに、1巻の時点で押韻という技法を使いそうなのはリョウ先輩か、ぼっちちゃんさんか?」


「青春コンプレックス」にはリズミカルに韻を踏むところもありますが、私はこの曲を「数年後、それなりに成長した後藤ひとりさんが最初期の自分を振り返って書いた」と考えているので、考察からは外します。過去の自分について「どうしようもなく愛を欲してた」とか客観視できる段階にはまだ至ってないと思います、少なくともこの時点では。

そして、ぼっちちゃんさん作詞がほぼ確実である「ギターと孤独と蒼い惑星」は素朴ながら力強い歌詞で、押韻は(私が探した限りでは)使われていませんでした。
作詞初心者が各種テクニックを無視して真っ向勝負しているということで、いかにもこの時点の後藤ひとりさんが書きそうな歌詞だと個人的には思います。


では、2曲目ということで後藤ひとりさんが「今度は作詞のテクニックにも気を配ってみよう」と考えた可能性はあるでしょうか。

ありえない、とも限りません。彼女は作詞に関する入門書を読んでいましたし、そういう本なら普通は押韻についても書いてあるはずです。
いやいや、初心者がここまで韻を踏めるだろうか。でも確かにできる人はできるかもしれない。

ですので、この論点だけでは「たぶんリョウ先輩っぽいが、後藤ひとりさんが書いた可能性もある」くらいが結論です。


そもそも、ここまで「リョウ先輩ならこういう歌詞を書ける」という前提を暗黙に置いていましたが、こちらも一応疑ってみましょう。

もし、ぼっちちゃんが結束バンドに加入していなかったら、リョウ先輩は作詞も手がけていた可能性が高いと思います。「自分の音楽をやる」という目的からしても、悪い話ではないはずです。
もちろん、何気に音楽経験が長い虹夏ちゃんさんに任せる可能性もありますが。

作詞の技術に関しては、「リョウ先輩はパッションと技術の両方を重視してそう」というド偏見により、私の独断ですが「リョウ先輩ならこれくらい書ける」ということで。知らんけど。ほんまに知らんけど。

2人の感情、音楽性、歌詞の解釈

というわけで、ここまで避けていた最重要論点です。歌詞をちゃんと解釈してみましょう。

もし、「リョウ先輩はこんな歌詞書かない」ということを歌詞の一部からでも論証できれば、この歌詞は後藤ひとりさん作詞である可能性が極めて高くなります。当然、逆も然り。

ぼっちちゃんさん説

この場合、「あのバンド」というのは趣味の合わない、たとえば「青春コンプレックス」を刺激するような人気バンドを指していると解釈するのが妥当だと思います。

そう考えると、自分に対する否定(「自分だけが間違いばかりみたい」)と自分に対する肯定(「ほかに何も聴きたくない わたしが放つ音以外」)の二面性も、確かに後藤ひとりさんっぽい気はします。

加えて、「笑い声に聞こえる」は彼女の世界に対する恐れを表現していると解釈できます。「背中を押すなよ もうそこに列車が来る」も、列車に轢かれるイメージだと解釈すれば同様のことが言えるでしょう。


サビの部分についても考えてみます。

「ほかに何も聴きたくない わたしが放つ音以外」の部分は3回繰り返されています。
しかし前2回は「目を閉じる」「耳塞ぐ」などややネガティブな歌詞の後で、最後の1回だけが「目を開ける」などポジティブな歌詞の後です。
これはどう解釈すべきでしょうか。

これはやはり、前の2回は押し入れに閉じこもって演奏していたこと、後の1回は観客と実際に向き合って演奏したことを意味していると思います。
事実、「目を開ける」というのは1巻の路上ライブでも後藤ひとりさんの成長の象徴として描かれています。

そして、最後のサビの「孤独」や「孤高」も、その前の「乗客は私一人だけ」も、彼女の本領がソロで暴れ回るような演奏だと考えればしっくり来ます。みんなと合わせつつ、先頭を走るような魅力的なギターこそが、彼女のギターの完成形なのではないでしょうか。

リョウ先輩説

この場合、「あのバンド」というのはリョウ先輩が過去に参加していたバンドと考えるべきでしょう。リョウ先輩曰く、歌詞を売れ線に近づけて、個性を捨てて(=「死んだのと一緒」)、そして最終的に解散してしまったという、「あのバンド」。


まず、サビについて考えてみましょう。さきほど述べた、初めのネガティブな2回分から続くポジティブな最後のサビへの変化。これは何を意味しているのでしょうか。

たとえば、初めの2回は元のバンドにいた頃で、最後の1回はバンドを辞めた後という解釈はどうでしょう。この場合、「乗客は私一人だけ」もすっきり解釈できます。
しかし、この場合ラストのサビは「バンドやめて気分爽快」という意味になってしまいます。当時ならともかく、今はリョウ先輩もバンドに再び意味を見出しているわけで、その彼女がこんな歌詞書きますかね……?

私はやはり、「あのバンド」だけでなくバンド活動自体に嫌気が差したリョウ先輩が、虹夏ちゃんさんに救われたことを意味しているのではないかと思います。
つまり、初めの2回は人と一緒に奏でる音楽への絶望を表した「自分以外の音はいらない」なのに対し、最後の1回はもっと前向きな「私の音楽を聴け」という意味なのではないか、と。


ここで、「わたしが放つ音以外」聴きたくないという歌詞が、ベーシストのリョウ先輩に合わないと思う人もいるかもしれません。
確かに、前面に出てくるリードギターやボーカルならともかく、ベースは演奏を支える存在です。

もちろん作曲家としての叫びとして解釈するとか色々やりようはあると思いますが、私はバンドのメンバーというより1人のミュージシャンとしての叫びだと感じました。
彼女の音楽は「足跡」を残すためのもので、そのためなら「孤独」も「孤高」も受け入れる、という精神の表れなのではないでしょうか。

この点で、後藤ひとりさんとリョウ先輩には共鳴し合うところがあると思います。


この解釈で問題ないか、他の部分も考えてみましょう。

「乗客は私一人だけ」というのも若干引っかかるポイントではありますが、「自分だけがバンドを離脱し別の道を歩んだ」という解釈でいいんじゃないでしょうか。知らんけど。

「背中を押すなよ もうそこに列車が来る」も、バンドの「死」を表現したものだとか、バンドの歌詞がどんどん無責任な応援ソングになっていったことを意味しているとか、いろいろ考えられると思います。


矛盾というわけではありませんが、最後に1つ大事な箇所を。

この解釈を採用した場合、「わたしだけが 間違いばかりみたい」の部分は重大な事実を示唆します。
つまり、リョウ先輩はかつてバンド仲間と自分の音楽性の違いに悩んでいただけでなく、その不一致について自分の方が間違いかもしれないとすら思っていた、ということです。
まあ、リョウ先輩は飄々としているように見えて意外と繊細っぽいので、そうだったとしても驚きはしないかなあと思います。個人的には。

結論

……どうしよう、後藤ひとりさん作詞説もリョウ先輩作詞説も、どちらにも決定打がない。
歌詞の解釈に至っては、どちらでも解釈できそうという結論になってしまいました。

やはり、リョウ先輩の内面が語られないことには決着がつかないんですよね。虹夏ちゃんさんとの間にもクソデカ感情がありそうなんですが、具体的にどんな感じなのか……。知りたいような、怖くて知りたくないような。


仕方がないので、逃げの多重解決といきましょう。

  • 作詞者は後藤ひとりさんで、リョウ先輩から聞いた過去の話にインスパイアされて書いた。2人が似た者同士だったからこそ成立した奇跡の歌詞。
  • 作詞者はリョウ先輩。以前のバンドをやめてから結束バンドに参加するまでの時期を思い出して書いた。


……なんか、どっちもエモい気がするので、これでいいか。
一応、私はリョウ先輩説寄りです。

追記

後藤ひとりさんの歌詞にリョウ先輩が手を加えたという「合作説」もありますね。結論から逃げた安易な妥協みたいな感じがしたので除外していたのですが、後から考えると意外とアリというか、十分ありえそうな気がしてきました。知らんけど。

おわりに

正直、妥当な解釈になっているか自分でも不安です。詩歌の解釈とか本当に全然分からん。
文句批判マサカリ等は随時受け付けておりますので、いつでもどうぞ。


ところで、「ギターと孤独と蒼い惑星」と「あのバンド」がバンドの1曲目と2曲目なの、迫力がありますね。カルト的な人気が出そう。

将来的に「メジャーデビューしてから大人しくなっちゃったよね〜」みたいに幻滅されないといいな。


結束バンド万歳!!!!!!!







東京大学きらら同好会 Advent Calendar 2022、明日(7日目)の担当はちさとしさんです。コメントによれば「れ~るとりっぷ?」ということですが、れるとりは二次創作トラベルミステリを書いた程度には好きなので、わくわくしています。

まんがタイムきらら Advent Calendar 2022、次は(今のところ)11日目のかがみだ🍊さんです。「キャラット辺りから何か話したいです...」とのことです。

*1:普通に予約しとくべきだった。たまに外に出たらメロブとか探してるんですが、割と品切れになっていることが多く……

*2:4巻p82より、少なくとも喜多ちゃんさんはこの時点で作詞をしたことがない。