私は語学ができない。
いろいろ語弊のある言い方だから、ちゃんと言葉を補おう。
私は、強制力がないと、語学ができない。
「ふぁぼんといえばロシア語」と認識している人もそこそこいると思う。しかし、最近は全然ロシア語を勉強していない。
いや、潜っている大学院の演習でロシア語の論文を訳読しているから、まあ最低限読んではいる。しかし、それはあくまで「遭遇したから倒す」タイプの勉強だ。文法で困ることはほぼないし*1、語彙は知らないものが出てくるたびに辞書を引けばいい。効率はさほど良くないけれど、語彙力は多少増えた。
一方、「狩りに出掛ける」タイプの勉強はしばらくやっていない。
語彙増強のためにパスポート露和辞典(7000語収録の超初級者向け辞書)の斜め読みを試みたことがあったが、飽きてしまった。単語帳は単純に向いていなかった。ロシア語の本を自分で読む気力もない。ザミャーチンの「われら」を訳して公開する*2チャレンジを試み、序章だけ終えて燃え尽きた。
ロシア語以外はもっと悲惨だ。読めるようになりたい言語、読めるようにならないと困る言語はたくさんあるのに、行動に移せない。
韓国朝鮮語は文字すら読めない。アラビア語は自主ゼミにすらまともに参加できず、初級の授業も聴講をサボるようになり、文字すら読めないままリタイアしてしまった。ウズベク語も教科書を読もうとしたが、複数形が-larであること以外何も覚えていない。フランス語は綴りと発音の段階で発狂しギブアップ。
私はそもそも怠惰な人間だ。
ロシア語を独学で習得できてしまったのは不思議だが、理由の分からない奇跡が起きたと理解した方がいいのだろう。
いや、もしかしたら条件を整えることで再現できるかもしれない。たとえば、「臨界点」さえ突破すれば勉強が楽しくなって、そこから先は加速度的に進められるのかもしれない。しかし、この3年間で一度もその境地に到達できなかった。あまり期待できそうにない。
だったら、私の怠惰を前提に対処法を考えるべきだ。
私がラテン語を最低限勉強できたのは、そうしないと単位が来ないからだ。
もっとも、ラテン語の授業は一方的な講義で、おまけに課題もなかった。今同じものを受けたら確実に単位を落としていただろう。当時はフレッシュ1年生だったので「単位だけは取ろう」と思えたが、最近は講義形式の授業で単位を落とすことに躊躇がなくなってきた。頼みの授業の強制力すら低下する一方だ。
中国語も二外として必修で、絶対に落とせなかった。だから最低限はできた。いや、一度落単して特別クラスの再履修でギリギリ進級条件を満たせたので、「最低限」と言うのすら恥ずかしい。しかも、その授業のテストは「出す文章を先に指定しておくので、口頭試問で訳せ」という方式だった。あらかじめ訳を作成してピンインを振っておいたのでかろうじて思考停止音読で及第できたが、未だにリスニングも作文も読解もまともにできない。
単位にならない大学院の演習(ロシア語)をばっくれていないのは、先生や院生のみなさんに失望されるのが怖いからだ。他の演習も同様。ゆるい自主ゼミにはないプレッシャーのおかげで、私はなんとかこの1年勉強できた*3。
ここまで述べれば、解決策は自明。強制力を作ること。どうせ勉強のために手を動かす必要があるのだから、課題が多めに出る授業に出るべきだ。
というわけで、今年はドイツ語の講読に参加することにした。西洋史学専修開講の授業で、ドイツ近現代史に関するドイツ語の論文や史料を読むらしい。
普通の初級の授業ではなくいきなり講読にした理由は、自分を追い込むためだ。印欧語の文法は比較的得意だし*4、自分を追い込みさえすれば勝手に勉強するだろう。ロシア語を習得できたのだから、ドイツ語だって大丈夫に決まっている。
もちろん、普通なら基礎文法すらおぼつかない状態で講読に突撃などしない。さすがに迷惑だ。しかし私が取ろうとしている授業は「初心者歓迎」と書かれていたので、心置きなく出席できる。
それに、自分としても、実際の論文や史料を読む実践的な勉強の方が、試験のための勉強よりも楽しい。徹頭徹尾モチベーションの問題なのだから、自分が興味を持てるというのが一番重要に決まっている。
「語学できない症候群」の克服という最終目標は霞んで見えないほど遠くにあるが、こうやって着実に進んでいきたい。遅くとも確実に、一歩ずつ。
これは人類にとっては小さな一歩だが、一人の人間にとっては大きな一歩である。