アレクサンドル・ユユスキーのブログ

ふぁぼんが適当なことを言うブログ

快速御坊行きと私

小学生の頃、私は相当な鉄オタだった。機会があれば乗り鉄撮り鉄もしたけど、どちらかといえば時刻表鉄だった。時刻表を開き、実行しない前提の旅行計画を練り、路線図を眺めてはニヤニヤする。ダイヤグラムや配線にハマって、架空鉄道のダイヤを作成したこともある。小学生の作るものだから、あまりにも拙かったが。

そうして時刻表鉄をしているとある日、梅田貨物線を通る普通列車を見つけた。梅田貨物線は貨物線なので(当たり前だ)、旅客列車は特急のくろしおやはるかしか通らない。そう思っていた私にとって、この列車はかなり印象深かったらしい。それ以来、私は「この列車に乗ってみたい」と思うようになった。

大阪市民である私にとって、この列車に乗るのはとても簡単なことだ。ちょっと早起きするか、あるいは夜更かしすればいいのだ。

しかし、ちょっと努力すれば簡単に実現できる小さな願いというのは、往々にして叶えられない。やろうと思えばいつでもできる、そう思ってしまうと、実現するには何らかのきっかけが必要になる。もし何のきっかけもなければ、その小さな、本当に些細な願いは永遠に叶えられないだろう。

事実、このちっぽけな願いは実現されなかった。実際にやってみようと思うほど熱意があるわけではなかったし、特に実現するきっかけもなかったからだ。やがて、鉄道への興味が薄れていくにつれて、この願いも忘れ去られた。鉄道への興味が完全に消え去ったというわけではなかったが、時刻表を眺めることはなくなった。

しかし、ちょっとした奇跡というのは稀に起こるものらしい。

この週末、私は所用で平塚に出かけた。最寄り駅までバスで30分の辺境に監禁されたり、化学が全く分かっていないことを突きつけられて絶望したりした。そして用事が終わり絶望的な気持ちになっていた私は、オフ会のため横浜に出た。家系総本山吉村家チャーシュー麺を食し、有隣堂で理学書談義をした。ところでラーメンと本の力はすごい。ラーメンを噛み締めながら無心に食べている間は全てを忘却できるし、本を眺めている間も同様だ。ラーメンや本には中毒性がある薬物が含まれているに違いない。

さて、オフ会を終えた私は小田原まで1時間ほど在来線に揺られた。本来は新横浜からのぞみに乗るのが最短なのだが、あいにく買っていた特急券が小田原から新大阪までだったのだ。そもそも横浜でオフ会するなんて、切符を買った頃には考えていなかった。そして、停電で絶賛遅延中のひかり号に乗車した。一本前のこだまの自由席は絶望的な混み具合だったが、次のひかりはギリギリ座れる程度に空いていた。あと、乗ったひかりが小田原-名古屋間無停車で、座れたことを感謝した。座れさえすれば、停車駅は少ない方が良い。座れなかった人はご愁傷様でした。

そして、新大阪に着く少し前、乗り換えを案内する放送が流れたのだ。そこで「快速御坊行き」の名前を聞いた私は、かつての小さな願いのことを思い出した。新大阪発御坊行きとなると、梅田貨物線経由以外にはありえない。となれば、この列車は私が乗りたいと願っていた列車にほかならないだろう。そう考えた私は、せっかくだからと小学校からのちっぽけな願いを叶えることにした。ちなみにその後信号待ちで20分くらい追加で遅延した。まあ新大阪駅が満線なら仕方ない。

オフ会や停電の影響で予定より大幅に遅れて新大阪駅に到着した私は快速御坊行きを待った。電車は間もなく入線してきた。いくら幼いころの些細な願いだからといって、念願は念願だ。紀勢本線の快速列車であることを示すWの文字とLED行先表示に書かれた「和歌山方面 御坊」を眺めながら、かつての熱烈な鉄オタだった自分に郷愁を感じ、この巡り合わせに感謝した。

これだけでも「鉄オタちょっといい話」なのだが、それだけではなかった。車内で待っていると、駅員のアナウンスが流れてきた。そのアナウンスによると、この列車は3月17日のダイヤ改正で消えてしまうらしい。少なくとも新大阪に乗り入れることはなくなるという。ブルートレインに間に合わなかった私は、しかしながら梅田貨物線経由快速御坊行きにはかろうじて間に合ったのだ。なんという幸運だろう。用事がダイヤ改正前だったこと、横浜でオフ会したこと、新幹線が遅れていたこと。全ての条件が噛み合わない限り、私はこの列車に乗れなかったのだから。

もうすぐ消えると分かると、途端に寂しさが湧いてきた。今は昔ほど鉄道に興味がないとはいえ、思い入れは強いのだ。私は先頭車両に移動し、何年ぶりか分からないかぶりつきを敢行することにした。先頭車両にはカメラを持った人が複数人いて、外にも撮り鉄らしき人が何人かいた。他にも、後からおじさんがやってきてかぶりつき始めた。みんなこの列車を惜しんでいるのだろう。鉄道から離れて数年が経ったが、現役の鉄道マニアたちと同じ気持ちを(おそらく)共有していることが嬉しかった。私は今でも、自分が思っているよりは鉄オタだったらしい。

電車は新幹線の接続待ちの影響で5分ほど遅れて出発した。私はガラスに顔を近づけ、車内の明かりが反射しないようにして、ポイントひとつ見逃さない心意気でかぶりついた。あたかも小学生時代に戻ったかのように。

梅田貨物線は東海道本線としばらく並走し、淀川を越えたあたりで東海道本線と分かれる。その後しばらくして、列車は梅田貨物駅のだだっ広い跡地を通過したはずだ。暗くて何も見えなかったが。その後踏切を通過すると、大阪駅から三ノ宮へ向かう東海道本線の下をくぐり、福島駅北側の踏切を通過して環状線と並走し始める。並走といっても、梅田貨物線が地上付近を走行している一方環状線は高架なので高さは違う。その後、貨物線は上り坂となり、野田駅付近で環状線と合流し同じ高さとなる。ただしホームはない。

ちなみに、野田駅には梅田貨物線のさらに北側、地上に降りていく謎のスロープがある。毎朝環状線に乗っていて見るたびに不思議に思っていたのだが、どうやら大阪市中央卸売市場本場に向かっていた貨物専用支線の跡地らしい。

野田駅を通過後は、西九条駅直前でポイントを左に渡り、外回り(大阪方面)の線路を経由してまたポイントを左に渡り、そのまま西九条駅の3番線に到着する。新大阪を発車してから、初めての停車駅である。3番ホームは通常JRゆめ咲線(桜島線)の列車が利用するホームであり、まっすぐ進めば安治川口方面に至る。まあ、西九条駅を通過する貨物列車はことごとく安治川口の貨物ターミナル行きなので自然な成り行きだろう。西九条駅を発車した電車はポイントを左に渡って、ついに環状線と合流する。私はそれを見届けて、空いている席に戻った。ここから先は紀州路快速と全く変わらないから、かぶりつく必要が感じられなかったし。

もし今回この列車に乗れていなければ、そもそも廃止を知ることはなかっただろう。仮に知ったとしても「へえ、そうなんだ、そういや昔乗りたいと思ってたなあ」くらいの感想しか持てなかったはずだ。叶わなくても別に問題ない、その程度の願い。同じような願望は毎日無数に生まれているだろうし、ほとんどは叶えられず、それどころか思い出されることすらなく闇に消えていくのだ。だからこそ、奇跡的に叶えられた願いは強く印象に残るし、私はこの出来事を忘れることはないだろう。いやまあ1年後には忘れてるかもしれないけど、ブログ読み返せば思い出すからセーフということで。

列車は相変わらず5分遅れで夜の天王寺駅に滑り込んだ。和歌山方面の終電だからか、天王寺から乗る人がたくさんいた。まだ少し寒いホームに降り立ち、私は現在に帰ってきたのを実感した。扉が閉まり、私を小学生時代に飛ばしたタイムマシンは闇を切り裂いて走り去った。