天才クールスレンダー美少女になりたい

チラシの表(なぜなら私はチラシの表にも印刷の上からメモを書くため)

学士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めてロシア語を愛するようになったか

Sygdommen til Rusland er Girls und Panzer.
ロシアに至る病、それはガールズ&パンツァーである。
セーレン・キェルケゴール


ニューアルバム「キェルケゴールに殴られる」絶賛発売中! 表題作のほか「残酷なゲーデルのテーゼ」「誰が殺したシュレーディンガー」「ラプラスの悪魔さえ知らない」「カントカンカントカント〜男女 ドイツ観念論mix〜」「神託機械(ラクルマシン)存在論(オントロジー)」「メタフィジカル・ラブストーリー」など新曲やカバー曲を多数収録!





冷静に考えると私まだ大学卒業してないから学士ですらなかった。てへぺろ。あと、デンマーク語警察の方、お待ちしております。









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先日、ガルパンを見た。

Amazon Primeの特典になっていたから見ようと思えばいつでも見れたのだが、ずっとなんだかんだあって見ていなかった。私はそもそもラノベよりもアニメを見る方が苦手だし、その上に締切がないと逆に見れなくなる。私がアニメを見始めるのには相当なエネルギーが必要なのだ。

なのに今のタイミングでなぜ見れたのかというと、5月末にAmazon Primeの特典からガルパンが消えるというのを5月29日の午後か30日の2時あたりに知ったからだ。というわけで、生活習慣が破綻した私は30日の朝4時あたりにガルパンを視聴し始め、OVAアンツィオ戦を経て最終章の1話まで見た。劇場版は特典に含まれていなかったし、中高の文化祭直前デスマーチ中にやった部活仲間との上映会で既に見ていたので後回しにした。途中どこで睡眠を取ったかは覚えていない。あと多少の課題が残っていたはずなのだが、期限を破ったりそもそも放棄したりした課題が存在した記憶はないのでたぶんなんとかなったのだろう。

そして、ガルパンの8話で、ついに私はプラウダの同志たちの姿を目の当たりにすることになった。祖国ソビエト連邦の戦車を操り、カチューシャを歌いながら雪の平原を疾走しているシーンを、私はようやく本編で見ることができたのだ。このシーンをYouTubeかニコ動の違法切り抜き動画で見てから、はや4年が経とうとしていた。



あの動画を見たのは、おそらく中学3年生の春、つまり2016年あたりだったと思う。当時の私はあのシーンを心底気に入った。作画や構図もそうだが、何よりもカチューシャという音楽を気に入った。そして、別に逆張りを意識していたわけでもないのに、私の思考は「ガルパンが見たい」ではなく「カチューシャをちゃんとした発音でロシア語で歌えるようになりたい」という方向へ転がっていった。生まれつき人のいない方向に転がっていく癖があるのかもしれないし、あるいは単に思考回路がちょっと人と違うのかもしれない。そもそも私は歌うのがかなり好きだから、この気質が多少影響している可能性も捨てきれない。あと、私は若干完璧主義者の傾向があるので、「どうせ歌うなら完璧な発音で」となるのもまあ仕方がなかったのだろう。

さらに、2016年8月に化学グランプリの本選があって、本選で言語好きの人に出会った。その人は国際言語学オリンピックに参加したときにカチューシャを歌ってロシア語圏の選手と交流したということを言っていて、いろいろ趣味が合って意気投合し名古屋のジュンク堂に突撃したり、ジュンク堂グレッグ・イーガンの「直交」三部作を布教されたりした。


これだと私がただのガルパンおじさんのなり損ねみたいにしか見えないから、一応補足しておくと、ロシア語を始める動機は他にもあった。

カチューシャを知って以来、カチューシャ以外のロシア語の曲をYouTubeで聴くようになった。その中にはソ連やロシアの軍歌も含まれるし、現代のロシアンポップスも、ソ連の伝説的ロックバンド「キノー」の曲も含まれていた。たくさんの曲を聴き、お気に入りの曲が増えるに従って、当然ながら歌いたい曲も増え、ロシア語をちゃんとやる必要性が自分の中でどんどん高まっていった。

それに、そもそも、私は中東欧、すなわちロシアからドイツに至る地域の地理や歴史に興味があった。
というより、中東欧の国の位置すら分からないということを自覚して衝撃を受けたあまりに、この地域を知りたいと思うようになったという方が正しいだろうか。今では「いやスロバキアの位置がわからない人なんていないでしょ」とでも言いそうな地理言語マニアの私にも実は無知蒙昧だった時期があったのだ。もっとも、これは中東欧だけでなくアフリカ全域や中東に関してもそうだったから、ちょっと転ぶ方向がズレていたら今ごろ私はアラビア語やペルシア語やヘブライ語トルコ語スワヒリ語にお熱だったかもしれない。


え、上坂すみれさん? ……まあ、正直なところ、同志の存在に影響されなかったと言えば嘘になるね。あと「ヨーロッパといえばイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン」みたいな風潮に対する反発心も正直あった。


じゃあ、その後すぐ「ロシア語の発音を勉強してカチューシャを歌えるようになりました」となったかというと、そうはならないのが怠惰な私である。1回始めたことはそれなりに続けられるけれど、始めるまでにとても時間がかかるのが私の根本的な欠点らしい。受験のときもこの気質にさんざん悩まされたわけだが、まあそれはともかくとして、じゃあ逆にロシア語を一切やらなかったのかというと、それも違う。キリル文字を眺めて微妙に発音を覚えようとはしたらしく、結局2017年の3月頃には(当時のツイート曰く)「多少歌える」というレベルになっていたらしい。

ロシア語を勉強していたわけではないが、さりとて全く触れていないわけではない。こういう微妙な接触をしばらくやっているといつの間にか身についていたりするよね。
そして同年5月にはもう「ラテン文字キリル文字に見える」とぼやくくらいロシア語に慣れていたらしい。ロシア語をやっているとCがエスに見えてPがエルに見えるなんて日常茶飯事だが、この頃には既に片鱗があった。

そして、2017年の8月、ついに私はロシア語を本格的に学び始めた。正直なところ、あまり集中的にはやらなかった。ただし、空き時間があればイマジナリーフレンドにロシア語で話しかけていたし(ただの危ない人じゃん)、数日に1回はロシア語のニュースなどを読んだりした。本気になればもっと短い時間で同じだけの能力を育てられたのだろうけど、私はさっきも言ったように怠惰な人間なので。

そして、勉強を始めて1年経った頃には、一応ロシア語の初歩文法をだいたいマスターしていたはずだ。まだおぼつかないところは多少あるにしても格変化はだいたい覚えていたし、リスニングはまだまだだったとはいえゆっくり話す分にはかろうじて困らない程度だった。やっぱりイマジナリーフレンドに外国語で話しかけるメソッドめちゃくちゃ有用だと思う。あと語学は結局接触時間がモノを言う。

その後もロシア語をダラダラ続けた。そして今年の4月に東京大学に入って、ロシア語を第一外国語として選択し、ネイティブも含めた先生のもと中級の授業でロシア語の研鑽を始めて今に至るというわけだ。



さっき書いたように、私はロシア語を第一外国語として履修する選択をした。これは世間的にはすごく異端な行動だから、たまに「どうやって育てばそんな選択をするような人間が生まれてしまうのか」ということを質問される。私はロシア語圏に住んでいたことなど一度もないし、私が知る限り親戚や知り合いにロシア語話者がいるということもないから、なおさら。

この質問は正直答えるのが難しい。というより、答えがあるなら私が知りたい。人は誰しも自分史を探求したいという欲望の持ち主で、私も例外ではないので。ほんまかは知らんけど

なぜロシア語なのか、という質問に対する答えは上述した。まあいろいろあったけど要約すれば巡り合わせということになる。そもそも、学校の外国語の授業と無関係に外国語に興味を持つことは、別に異常なことでは全くないと思う。もしそうであれば、いくら隣国でビジネスでの需要があったからといって、本屋にあれだけ多数の韓国語の本が並ぶような状態にはまずなっていないだろうから。韓国に憧れ韓国の文化に興味を持って韓国語を始める(そこまでいかずともハングルの読み書きを学ぶ)中高生が決して珍しくないんだから、カチューシャを歌いたくてロシア語に手をつける高校生がいたって不思議じゃないだろう。

既修ロシア語という選択肢が存在するのをなぜ知っていたか、というのにも簡単に答えられる。Twitterをやっていて、みんなが言語学習にハマっているようなちょっと特殊な界隈に片足を突っ込んでいて、そこには東大生もいたから、東大では普通なら英語を履修するところを他の外国語に差し替えできると知る機会があったのだ。私は運が良かった。というか前述の化グラで会った人がその後東大に入って既修言語にフランス語を選択したりしてるし。

なぜ実際にやったのか? なぜなら、1年目からロシア語を中級レベルで学べるのはすごく魅力的だし、既修で選択するための語学の要件も満たしていると思ったから。ただし、正直に言うと、面倒そうな英語を回避したかったという理由がなかったとはいえない。

そして最後に、ロシア語に興味を持ったとして、なぜ実際に高校生のうちに手を出したのか? そして、なぜ継続できたのか?


継続の方に関しては、たとえば、いくら学校で6年以上学んでも英語を全く読めも書けも喋れもしない人が大多数だとはいえ、英語をちゃんと勉強して運用能力を身に付けることに成功した人が一定数いることを考えれば、そこまで特殊なことではないと思う。確かに「普通」のことではないけれど。

私はたいがいのことを締切直前まで手をつけずギリギリで全てやるタイプの人間だったが(もちろん終わらず破滅したことも数知れず……)、ロシア語だけは毎日続けられた。別にロシア語の学習に熱烈なやる気があったわけではないけれど、ロシア語に触れるのが生活の一部になってしまったので。生活の一部になったら簡単にはやめられないから強い。ちなみに私にとっては艦これも同じ枠。艦これは生活の一部だし日課


で、なぜ興味を持つだけでなく実際にロシア語を始めようと思ったかだが……正直わからない。ただ、1つの要因として、Twitterという環境はかなり大きいような気がする。

この記事を読む人の9割9分は知っていることだと思うが、私はTwitterをやっている。フォローしている人には自然科学の人やコンピュータの人もいるしエロゲのオタクもいれば軍歌マニアの人もいる。まあ要は私の興味の節操のなさが反映されているのだが、その中には言語学とか語学に興味がある人もたくさんいる。

その人たち——ここでは「言語マニア」と呼称しておくけれど——は、いろんな言語に好き放題に手を出していた。ラテン語がわかる人がたくさんいて、アラビア語もたくさん、古代ギリシア語もたくさん、ロシア語もたくさん。そして構成員は老若男女さまざま。もちろん中高生もいるし、大人もいる。

一応断っておくけれど、言語マニアの中には語学にあまり興味がない言語学の人もいて、たとえばひたすら韓国朝鮮語や日本語や琉球語アイヌ語などの祖語を再構成しようとする人がいたりする。歴史言語学の研究者なら普通のことだろうけど、別にそういうわけでもない人がひたすら日琉祖語について議論しているので正直びっくりする。

とにかく、私はTwitterの影響を受けて、「外国語はいくつでも勉強できるし、中高生でも還暦後でもいつでも始めていいし、別に始めたからといって突き詰める義務があるわけでもない」という価値観を当然のこととして受容していた。

ここで重要なのは、私にロシア語を始める選択肢が現実のものとして存在することを、私が知っていたということだ。

たとえば、たとえある人に東大に行ける能力があったとしても、東大に行けるだけの能力があるということを本人が知っていなければ、そもそも東大に行くという選択肢が発生しない。東大を選ばないのではなく、そもそも選択肢が生まれない。よく「地方から東大を目指す人が少ない」という問題についてこういう議論がなされる。実際にその通りだと思う。

そして、これは別に受験に限った話ではない。

私は、私がロシア語を始められることを知っていた。「英語以外の外国語は大学生になってようやく始めていいもの」なんて思っていなかったし、「ロシア語をやるなんて遠い世界の話」とも思っていなかった。


たぶん、それだけの話なのだろう。









蛇足 appendix

この記事は、私がロシア語を始めるに至る経緯を物語的に再構成する試みだ。物語というのは人間が現実を説明するときに多用するモデルであり思考様式だが、だからといって現実と整合性があるとは限らない。そもそも私が忘れている出来事は無数にあるし、仮に全てを覚えていたとしても、やはり出来事を取捨選択して因果関係を組み立てる段階で必然的に恣意が混ざってしまう。それに、組み立てた因果関係が正しいかどうかも、実際には何の保証もない。

物語として考えるなら、この話はよくできたと自分でも思う。「選択肢があると知っていないとそもそも選べない」というくだりなんか特に、書いていて自分で感動するくらいだった。そして、全ての要因がきれいに因果関係の網で繋がって、ロシア語を始めるという選択に私を「追い込んだ」。

でも、この記事は、あくまでも「現在の私が過去を振り返ったときに、出来事を説明するためにそれっぽい物語を作ってみた結果生まれたもの」だから、真実の全てを記してはいないかもしれない。

歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の終わりのない対話である。
エドワード・ハレット・カー「歴史とは何か」

実は歴史哲学全然分かってないからそろそろ勉強し直さないと史学徒を志す人間としてかなりヤバいんですよね