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【全文公開】「紡ぐ乙女と大正の月」布教記事【Micare 2.5】

2023年の夏コミ(C102)で東京大学きらら同好会が出した合同誌「Micare 2.5」に、つむつきのレビュー・布教記事を書きました。つむつきの最終巻(4巻)が3月27日に発売されるので、これを記念して全文を公開します。

ネタバレはありません。


たったの2700字で量はショボいですが、それはそれとして我ながらそこそこ上手く書けてますね。「ブラインド Vol. 1」に寄稿したまぞくアンソロレビュー記事もそうですけど、こういうレビューと評論の中間みたいな文章が自分には向いてるのかもしれません。

ただし、2023年夏(たぶん7月)に書いたものをそのまま修正なしに掲載しているので、今となっては若干嘘の箇所もあります。当時は連載の話数からして2023年の秋か遅くても冬くらいには4巻が出るだろうと思っていたのですが、結局2024年3月になりました。最後に「もうすぐ4巻が出ます」と書いているのはそのためです。まあ、4巻発売直前にweb再録することでこの記述は†真実†になったわけですが。

また、着実に進んでいく作中の時間と明らかなタイムリミット(1923年秋〜1924年春)を照らし合わせれば、去年の夏時点でも終わりが近いことは明らかだったのですが、当時の私は5巻完結を予測していました。なので、4巻完結の事実と矛盾はしていないのですが、「この人は4巻以降も続くと思って書いたんだろうな」という文章になっています。



まんがタイムきららキャラットで現在絶賛連載中、単行本も3巻まで発売されている「紡ぐ乙女と大正の月」(つむつき)。今年の「次にくるマンガ大賞」にもノミネートされている本作は、間違いなく今もっとも熱い漫画の一つだといえるでしょう。

地震がきっかけで1921年にタイムスリップした女子高生、藤川つむぐ。セーラー服を着たまま大正時代に来てしまったせいで、彼女は周囲の人々に破廉恥な服を着た不審人物と思われてしまいます。あわや警察署送りの彼女を救ったのは、通りがかったお嬢様の末延すえのぶ唯月いつきでした。唯月は末延公爵家の一人娘で、紡を使用人として迎え入れ、唯月と同じ学園に編入させます。

そもそも公爵というのは五つある爵位の中でも最上位で、つまり唯月は日本有数のやんごとなきお嬢様です。女学校でも注目を集める彼女のもとに、彼女の使用人を名乗る転校生が現れたのですから、周囲の女学生たちも黙ってはいません。今も昔も噂話は学園の華、折しも女学校では特別な関係の学生二人が擬似的な姉妹の契りを結ぶ「エス」という文化が流行しており、教室では様々な噂が飛び交っていました。唯月のことが好きすぎて紡と張り合おうとするツンデレの万里小路までのこうじ旭や、突然やってきた紡に興味を示す夢見がちな蜂須賀はちすか初野はつのといった同級生に囲まれ、唯月と紡は騒がしくも楽しい学園生活を送ることになります——放課後に銀座の喫茶店に寄ったり、調理実習で習った料理をこっそり台所で作ったり、病欠した友人の家にお見舞いに行ったり。

この作品の素晴らしさはいくつもありますが、真っ先に述べるべきは、全編を通して伝わってくる大正時代の空気感でしょう。キャラの言葉遣いから背景に描かれた東京の様子まで、細かいところまでこだわって大正時代を表現しようとしているのが伝わってきます。中でも私が特に感激したのは、初野が紡のことを地上に降りてきた天女だと解釈した場面です。そう、大正時代の夢見がちな女学生にとって、変な服や謎の持ち物と共に現れた未来人は天女なのです。大正時代の常識という異なるフィルターを通した世界をここまでの説得力とともに提示されてしまうと、その想像力の大胆さと精緻さに「言われてみれば確かに!」と驚嘆するほかありません。

さて、ここまではこの作品の光の部分について説明してきました。しかし、薄々察している人もいると思いますが、つむつきは非常に重苦しい作品でもあります。その影の部分を作っているのは、少女たちを雁字搦めにする「家」の存在、ひいては華族社会のしきたりです。そして、その「家」に最も強く縛られているのが公爵家の娘である唯月であることは言うまでもないでしょう。彼女は女学校の卒業後に結婚することが決められていて、そこに彼女の意志が介在する余地は存在しません。また、彼女は父親である末延家当主から「名家の名に恥じぬ」振る舞いを求められ、ずっと父親に従う人形のように行動していました。

そんな彼女の転機となったのが、紡との出会いです。唯月は突然現れた身元も分からない紡を保護しました。珍しい服装が気になったが故の気まぐれだったとしても、これは唯月にとって初めての反抗です。おまけに紡は未来の一般人、つまり少女たちの世界の外側にいる人間でした。華族社会の常識から外れた紡の影響を受けて、唯月の心は徐々に溶けていきます。たとえば、放課後に友達と寄り道するのも、爵位が下の家の友人の屋敷を訪れるのも、全て当主から禁じられていたことでした。紡が現れなければ唯月は友人との間に壁を作ったままで、言いつけを破るなんて真似もしなかったし、友達と過ごす放課後の楽しさを知ることもなかったでしょう。

しかし、唯月のささやかな反抗の代償は厳しいものでした。しばらくの彼女の行いが突然現れた紡のせいだと考えた当主は、とうとう紡を追い出してしまったのです。どうしようもない理不尽な運命に直面した少女たちが取った行動とは——

この後が1巻のクライマックスなので、続きが気になる人は単行本をどうぞ。まあ、3巻まで続いていることを考えれば、このまま離別エンドでないことはバレバレですが。全てを諦めて受け身で生きていた唯月が紡に感化されて、切れそうになった関係を繋ぎ止めるべく自分から動くシーンが本当に良いんですよ。

ただし、ここで重要なのは、たとえ当主を説得できたとしてもそれは一時しのぎに過ぎないということです。唯月に残された自由な時間はあと2年半ちょっと、卒業すれば嫁入りした家の妻として生きることを定められています。「女同士でずっと一緒になんていられるはずないじゃない」という台詞が象徴的ですが、「家」の繋がりが最重要で女性同士の関係が軽く見られる社会において、二人の特別な関係を継続させるのは不可能といっていいでしょう。そういったしがらみがない紡も、本来は大正時代にいるはずのない存在で、ずっと唯月のそばにいられるとは限りません。日本各地に残る羽衣伝説には様々なバリエーションがありますが、天女は大抵の場合、最終的には天に帰ってしまいます。おまけに、作中で時折挟まる地震に関する意味深な描写は読者の不安を煽るのに十分です。大正で東京で地震といえば、関東一円に壊滅的な被害をもたらした1923年の関東大震災。時系列から考えると唯月たちが卒業するのは1924年の春なので、彼女たちが女学校を卒業する半年前に震災が起こる計算です。物語が今後どう進むかは分かりませんが、社会や時間の壁から近い将来やってくるはずの巨大地震まで、全ての要素が終わりをほのめかしています。

でも、たとえ楽しい時間が束の間の休息に過ぎなくて、いつか終わりがやってくるとしても、その時間に意味がなかったということにはなりません。終わりが来るならなおさら、最後まで楽しく過ごしたいと思うのは普通のことです。やや目的論的な説明になってしまいますが、紡が大正時代に来たのは唯月たちが残り僅かな時間を悔いなく過ごす手助けをするためではないでしょうか。冷え切った仲の親子、不幸な別れ方をした昔の友人——しがらみのせいで繭のように絡まった縁を、ほどき紡いで一本の糸にすること。それは、外からやってきた「紡ぐ乙女」である紡にしか務まらない役目なのだと思います。

何気ない日常の輝きが終わりの気配を、終わりの気配が何気ない日常の輝きを引き立てる。光と影のコントラストが鮮やかな良作きらら作品「紡ぐ乙女と大正の月」、みなさんもぜひ読んでみてください。もうすぐ4巻が出ます。