天才クールスレンダー美少女になりたい

チラシの表(なぜなら私はチラシの表にも印刷の上からメモを書くため)

ラプラスの悪魔に弄ばれたい

私の根幹を成すものは何か。

10年ほどずっと内省を繰り返した結果得られた結論、それは「知性への信仰」だった。私の性向の大半はこれで説明がつく。ちなみに残りの半分弱は「マゾ」だ。この2つを合計すればほとんど100%になる。

そうであるならば、知性信仰とマゾの重なる部分は私の本質と言っても過言ではないはずだ。

そして、そこには天才少女が立っていた。


ここでいう「天才少女」というのはあくまで概念のことで、付言するならその射程はフィクションに限定される。いや、小難しい表現はやめよう。

頭がいい女性キャラが好きすぎる。

このブログのタイトルにもなっている「天才クールスレンダー美少女」、略して「天ク美」*1もそういう性癖の一部だ。
私がこの表現を使うとき主に念頭に置いているのは、孤高の天才少女の人間らしい部分への𝑳𝒐𝒗𝒆である。ギャップ萌えとも言う。めちゃくちゃクール側に寄せたツンデレ
我が道をゆく孤高の天才少女から分かりにくい信頼を向けられたい。その信頼を読み取れる者すら自分しかいないという状況に優越感を感じたい。いや、いっそのこと天才クールスレンダー美少女になって主人公*2の愛に徐々に絆されたいかもしれない。彼女の可愛さを私だけが知っている、こんな私を主人公だけは愛してくれる——こんな美味しい関係があるだろうか。自信と誇りと自己否定感と他者からの肯定とが全部ぐちゃぐちゃになった地平に、究極の萌えがある。

これはどちらかというと「クール」に焦点を当てた議論だ*3。それも面白いし掘り下げる価値があるけれど、今回は「クール」よりも「天才」にフォーカスしてみたい。


天ク美に対して、人外萌えのような視点で「萌える」こともできる。ちょっと変わった普通の人間に見える彼女が覗かせる人間離れした一面、あるいは逆に人間っぽさの薄い彼女が時折見せる人間的な一面。相互理解と根本的な断絶。私はフィクション限定恋愛脳なので「分かり合えなくても愛し合える」みたいなのが好きで、その影響が天ク美性癖にも確実に反映されている。


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↑これは脚本が丸戸史明大先生のオリジナルアニメ「Engage Kiss」エンディングテーマ「恋愛脳」(歌: ナナヲアカリ/曲・詞: ナユタン星人)




そう、超越性が重要なのだ。


超越的な女性というモチーフは、いろいろな作品で登場する。一番わかりやすいのが野﨑まど作品。他にぱっと思い付くのだと、森博嗣のS&Mシリーズとか、相沢沙呼『medium』とか、知念実希人『硝子の塔の殺人』とか。(広義の)ミステリばかりだと文句を言う人もいると思うが、その点は後でちゃんと説明する。

「超越性」にもいろいろある。たとえば、「彼女は超能力者でその気になれば私の命を一瞬で刈り取ることができる」みたいなのも超越性の一種だ。自分を圧倒できる上位存在に弄ばれる、マゾならば心踊るシチュエーションだろう。ただ、私が今言っている「天才少女」からは少し離れる。

「天才少女」の超越性を端的に表現するなら、こうなるだろう。
私が必死で考えて行動したはずが、全て彼女の掌の上だった」。
あるいは、こう言い換えてもいい——彼女の超越性は、世界を見通す点にある。

彼女は必ずしも異能力を必要としない(持っていることもあるが)。思考の深さと用意周到さ、ずば抜けた観察力や演技力、エトセトラ。普通の人間にある能力を、しかし極限まで高めることで人智を超えるような振る舞いをしてみせる。そして全てを思いのままに動かし、追う者に敗北を突き付ける。たとえ主人公が真相に辿り着けたとしても、それは彼女が気まぐれで誘導したからにすぎない。それなりに頭の回る主人公であれば、自分の思考すら全て制御されていた事実に気付くだろう。どこまでいっても彼女の掌の上から逃れられない、そういう構造になっている。

この構造がめちゃくちゃ刺さることは、同志マゾのみなさんなら共感してもらえると思う。そして、さっき挙げた作品の多くがミステリだったことも納得してもらえると思う。この快感はつまるところ「どんでん返し」の知的興奮と分かち難く結び付いているのだ。そして、ミステリといえばどんでん返し、どんでん返しといえばミステリ。この2つは相性が極めて良い。


作品中で主人公が彼女に敗北を突き付けられているとき、読者もまた作者に敗北を突き付けられている。ミステリというのはそういう構造のジャンルだ。「やられた!」という爽快な敗北感、それがミステリ愛好家の原動力の1つであることは間違いない。
つまり、天才少女に掌の上で踊らされる快感を得るためには、必然的にそれだけの作品を構築できる作家がいなければならないのだ。そんな傑出した作家はそう多くいるものではないし、たとえ最高のミステリ作家といえど至高の傑作を年に何作品も書けるわけではない。全ての傑作に我々が待望する天才少女が出てくるわけでもない。

必然的にどこまでも供給が少ない作品類型。ニッチジャンルの住人がよくやるような自給自足すら不可能な、名だたる才能が苦心してやっとひねり出せる代物。そういうわけだから、先述した作品だって絶対数は多くないけれど、それでも「この厳しい条件でよくもこんなに!」と喜ぶほかないのだ。


全てを見通すラプラスの悪魔。彼女に弄ばれたいがために、私は今日も物語を読む。
彼女と巡り会うために、彼女に敗北を突き付けられるために。

*1:この略称を考えたのは私ではない。初出は分からないが、2020年頃に発生した表現らしい

*2:別に男でも女でも無性でも人外でも構わない

*3:冷静に考えると、クール美少女に対する愛は知性信仰でもマゾ嗜好でも説明できないな。冒頭で言った「この2つで100%」とか完全に大嘘すぎる。